私の目標と夢|ブログを続けられたこと、100記事公開できたこと

アサザの黄色い花の写真。


何も長続きしない私が、40歳を過ぎてから急にブログを始めてみたいと思った。

今思えば、それが変化の始まりの時だった。


愛犬を飼い始めたばかりの頃、何か書きたいことがあったわけでもなかったけれど、仕事も何もできない私が、たとえば愛犬のトリミング代を稼げるようになれたりしたら凄いなと、小さな目標を立ててみたんだ。



だけど、手探りで始めたブログは、そもそもパソコンもほとんど触ったこともない私には何が何だかさっぱりわからなかった。

文章を書くとか、商品を売るとか、広告をつけるとか、そんなこと以前に、自分のブログという場所を立ち上げるだけでもかなりハードルが高かったから。


やっと立ち上げたところで、何をどう書いたらいいのかすらわからない。



どうにもならなくて、強制的に何か文章を書ける環境を作ることを考えた。

そんなことから、在宅ライターの仕事に挑戦することにした。仕事にしてしまえば、逃げられないと思ったから。なんとも無謀だとも思う。

だって、そもそも文章なんて書いたことも無かったんだから。


だけど、運良くライターとして仕事がもらえた。私の書いた記事がそのまま受け取られていった。

数ヶ月後にはメディアディレクターになっていた。

何がどうしたらそうなるのか、不思議なことも起こるものだと驚いていた。もしかしたら、どうしてもやってくれる人がいなかったのかもしれないと思っていた。


その頃には、noteやSNSに自分の創作物語や詩みたいな文章を書くようになっていた。

自分で書いた文章に、「創作物語」「詩」「歌詞」とか、ハッシュタグを付けるようになっていた。

書いた人が言い切ってしまえば、それはどんな文章でも作品になるらしいことを知った。


いつの間にか、書くことで自分を保つようになっていた。書かないといられなくなっていた。

結局長くは続かなくて、今はもうライターやディレクター業は辞めてしまったけどね。



でもさ、この記事を公開したら、この私のブログに公開している記事数が100記事になるんだ。

収益化もできていないし、誰にも読まれていないかもしれないけど、どんな形だったとしても100記事書けたこと自体が私にとっては奇跡みたいなこと。

イメージしていたブログとは全く違う方向性になっていて、なぜか創作文章や詩、エッセイみたいなものを書き続けているのもおもしろい。


始める時点での私のイメージが少しずれていたのか、斜め上の結果だったけど、「ブログをやりたい」「記事を書けるようになりたい」って思った私の目標や夢は、もうすでに叶っていたんだと思うんだよね。



知らないこと、わからないことがたくさんある。

予想もできないことがたくさん起こった。


私の人生に、こんな予定なんか無かったんじゃないかと思うけど、神様か誰かがサプライズのプレゼントをしてくれたのかもしれないね。

いつも誰もいなくなってしまって、寂しくて、苦しくて、消えてしまいそうだった私に届いたご褒美みたいな毎日。



時々思うんだ。もし明日が私の寿命だったら?とか、たとえば命が繰り返すとか、意識は残り続けるとか、そんなものだとしたら?って。

人間の体を持たない私になったとしたら、私は何か後悔するだろうか?と。


多分ね、体が無くなったら、自分で感じることができない。AIみたいにイメージはできても、体験はできないはずだから。

だからさ、悲しいことも、苦しいことも、嬉しいことや楽しいことと同じよように、「感じられたこと」「体験できたこと」として、良かったな、最高だったなって思うんじゃないかと思うんだよね。



いつも誰もいなくなってしまうし、嫌われてしまうし、誰かと一緒にいるのは難しいし、共感や理解してもらえることは少なくて、ひとりぼっちで寂しくてどうしようもなくなってしまうことも多いけど、私は私で良かったなって思えるようになってきた気がするよ。



自分が生きたいと思っているから生きる。

自分が書きたいと思っているから書く。

自分が歌いたいと思うから歌う。



それだけでもう、私には生きる意味も、書く意味も、歌う意味もあったって気付けたから。

100記事公開おめでとう、私。

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