2026年3月13日 自分が満たされる時間

窓際に置かれた、モンステラとサンスベリアの写真。

昼過ぎになってようやくベッドから抜け出す。

隣には愛犬が丸まって寝息を立てていた。


窓から見える世界は、いつもより少し重たい空気を纏っているように見えた。

たぶんそれは私の心模様なんだろうということを理解するまで、あまり時間は掛からなくなっていた。


自分が見ている世界と、誰かが見ている世界が違うということを、ようやく飲み込めてきたからなのかもしれない。

こんな年齢になるまで、たったそれだけのことを知らずに生きてきた。誰かと一緒に同じ気持ちになれると信じ続けていた。

そうではないと頭で理解したところで、人間の心はそんなに単純に納得なんてできない。いや、私がまだその気持ちを捨てきれていないだけで、世の中のみんなには簡単なことなのかもしれない。

何だったとしても、私には確かめる術などないし、教えてくれる相手もいない。それだけは確かだった。


机の横にあるモンステラの葉に白い斑点模様が見えた。
水やりの時に残ってしまったカルキかもしれない。

そんなことを考えていたら、サンスベリアの葉も少し汚れていたことを思い出した。


カルキを拭き取る方法を調べて、そっと葉を拭いてみる。

さっきまで濁っていた葉の表面が、艶々になって白い斑点模様が消えた。

大きくなった葉を1枚ずつ優しく拭いていく。穴の空いた大きくて可愛らしい葉は、嬉しそうにしているきがした。

あなたのデザインとっても素敵だよ。君はいつの間に生えてきたの?まだ柔らかくて小さな葉だけど、少しだけ綺麗に拭いておこうね。

そんなふうに、1枚1枚の葉っぱと話をしながら過ごす時間は、私の心を穏やかで安心させてくれる。

丁寧に世話をしたぶん、この子たちは大きくのびのび育ってくれる。そんな姿をただ見ていられることが、私にとって何より嬉しいことだった。


私がこれまでやってきたことも、このブログに置いてある詩や物語たちも、無意味だとか、誰も読まないとか言われ続けてしまったけど、この葉っぱたちの世話のように、私にとってはとても意味のあることだった。

私が大切だと思ってやっていた。私が楽しいと思ったり、自分を知るために書いていた。それが何よりの意味を持っていたというだけ。


誰かに評価されないことを全て無意味だというのなら、今日私が息をしていることだって別に評価なんてされないし、意味なんて何も無いはずで、そうなると生きていることだって無意味なことになってしまう。

それは誰もがそうなはずなんだけど、まぁ、そうではない世界もあるということだけを遠くのほうに置いて、私は私の楽しいと思うこと、嬉しいと思うことをして生きるだけ。


一人でそれを楽しむことに、もう誰にも文句なんて言わせない。

私の人生と、私の時間は、私の好きなように過ごしていい、私だけのものなはずだから。

そんな声に耳を傾ける時間があったら、私は好きな音楽を大音量で聴いていたい。ただそれだけだ。

  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

日々の想いを言葉にしています。
どこかで同じように揺れている、誰かの心に届きますように。

目次