2026年2月24日 存在の意味

「日々の記録」という手書の文字の画像。

私はいつも、誰かに理解してもらいたいと思い続けて生きてきた。

できたら、心から理解してくれて、私を疑ったり、説明を求めずに、ただ気持ちをそのまま受け止めてほしいと願っていた。



どんな場所でもいじめや虐待をされ、否定や排除を受け続けてしまった私は、何が原因だったのかと聞かれても、もう何も答えられる気がしない。


私はただ私でしか無かったし、それが精神疾患だろうが、脳特性だろうが、異常だろうが、正常だろうが関係ないはずだったから。


私が私として感じること、見える世界。


そんなことを否定され続け、自分が自分を信じていられなくなりそうなほどの苦しさや孤独を感じて生きてきた。



そして、もしかしたらそれは本来、親や家族という人たちからもらえたはずの安心感だったのかもしれないとも思っている。



そんな安心感を味わわないまま、私は今年45歳になる。




ただ一人の人間として、ただ一人の女性として、、、そんな私の権利はなぜいつも奪われてしまうのか。


いつだってその答えを問われるのは、そう否定してきた人たちではなく私だった。



そんな他人の感覚や気持ちなんて、誰もがそうであるように、私にだってわかるはずもない。



それでもそれを問われる側になる私は、

「では、なぜそんなふうに排除されたと思いますか?」とか、

「あなたの伝え方や受け取り方が悪かったのではないですか?」というふうに責められているとしか感じられなくなる。


「いじめられる側にも問題があるのでは?」とか、

「親から虐待をされ、愛されないほど厄介な存在だったのでは?」と言われている気がして、突き放された感覚にしかならなかった。




そして、いつだって傷つけた側の証拠も証明もできるはずは無かった。

世の中は証拠や証明がなければ、そんな主張をする側、苦しいという側がおかしいというところに落ち着いて、無かったことにされて終わる。

それが一番手っ取り早いという理由なだけで。



誰かに嫌なことを言われるかもしれない前提で生きている人なんて居るのだろうか?いつも録音や証拠集めをして生きていなくてはいけないのか?

そんな馬鹿げた話あるわけもなく、だからと言って、証拠を持たない私はいつだって悪者だった。



そんなふうに扱われ続けた私は、もはや存在しているかどうか怪しいレベルに世の中から消されていると感じる。


今だって、そんな状況は続いていて、どんなに苦しくてもサポートを受けることすらできていない。



そもそも自分がみんなの感覚と違うなんて思ってもみなかったから、気付くのなんて難しすぎた。

たくさんの病名を付けられ、差別され、自由な選択を奪われていた中で、私なりに自己理解を深めて特性を見つけたと感じられたことには意味があったと思いたい。


その根拠の一つになればと受けたメンサテスト。

入会できたことで、今まで苦しかった理由や原因がわかって、なんとかなる、説明できる、そう思って喜んでしまった。


本来なら、その根拠と共に、周りにいる人たちに少しでも理解してもらえるはずだったんだけど、そううまくはいかないのが私の人生。


それどころか、差別は逆方向に一気に反転して、もっと酷い言葉を投げつけられるようにすらなってしまった。




異常者というレッテルは、自慢している人というレッテルへ。

そして、何でも一人で解決できる有能な超人。


多分その時点から、私の生活や立場は、みんなの世界の中でものすごい優雅な暮らしへと変化させられてしまった気がする。


昨日と今日で私は何もかわってなどいないのに、イメージの世界の私の解像度が雑すぎる。




みんなと違うこと。


ただそれだけで、こんなにも長い間排除され続けたと知った。

私は、生きている意味すら無いような気持ちになって、負けそうにばかりなる。

誰にも必要とされていないと感じてしまうから。



だけど、私を排除してきた人たちが、私の苦しみを無かったことにしていたように、私が実際はどういう人間なのかとか、そもそも今も私が生きているのかどうかとか、そんなことだってもう興味は無いんだろうな、、、とも思う。

きっと、その場だけ排除できればそれで満足なんだろうから。



私がどれだけ傷ついても、関心など持ってくれないと知っているからこそ、「私は生きる!」と、開き直るようにしている。


私はただ私として生きていたいと、ずっとずっと思っていたはずだから。





とはいえ、毎日足元は揺らいでばかり。

全然強くなんてなれないまま。

弱虫で、泣き虫の、あの頃の私のまま。




ただ、こうして誰にも否定されない場所で、何かを書き残すこと。


私が今日も生きているという事実を、無かったことにされたくないという、心の叫びのようなものなのかもしれない。




毎日、痛いほど自分の弱さと、無力さを感じながら、それでも生きていたい、人生を楽しんでみたいと、諦めきれない自分がいる。


だからこそ、この苦しさを、経験を、想いを、文章や物語として昇華してしまえば、絶好の素材になると、バカみたいにポジティブに捉え続けたいと、もがき続けている。

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