それぞれの命の権利

みんなが当たり前に楽しそうに暮らしている姿を、
何度も見送ってきた。

小さな頃から私は、
いつもそんな世界に存在していなかった。

私はみんなと違ったから。

たったそれだけだった。


44年もかかってようやく認識できたことは、

あまりにも残酷で、
あまりにも理不尽な現実だった。

みんなが当たり前に大切にされ、
存在していて良い世界であるように、


私のような特性を持つ人や、
少数派とされる人たちも、

当たり前に存在していて良い世界だというだけのこと。

誰かと違うこと、
多数ではないことは、

否定されたり、排除されていいという
正当な理由にはならないし、

してはならないものだと思っている。


誰もが同じように「大切にされるべき命」であり、

誰もが同じように安心していられる居場所を
与えられ、守られ、「幸せに生きる権利」がある。

ただ当たり前に、本来そうであるというだけのこと。


ただその小さな違いを、
「異物」としてしか扱えない社会や環境が整っていない

「今」という時代がここにあった。


私は、
そんな世界の狭間で居場所を見つけられないまま、

苦しみ、もがき続けて、
生き延びてきてしまっただけだったと感じた。

ただ、確かなことは、

そんな中でもなんとか生き延びられたし、
私が絶対に守りたかった尊厳だけは守り抜けたということ。


誰もいないこの場所には、
私を助けてくれる人もいない代わりに、

私を攻撃してくる人もいない。


そして、ずっと私は一人だった。


だけど、

集団の中で感じさせられる孤独より、

ひとりぼっちでいる今の孤独の方が
安全で穏やかな時間が流れている。


何の役に立たなくても、何も説明しなくても、

ただ、ゆったり生きていて良いと、
初めて許された優しく穏やかな時間が流れ始めた。


本来は、
小さな頃からこんな穏やかな世界が広がっていたはずだったと、

実感するたびに涙がこぼれ落ちる。



だけど、
そんな時間でさえ、私を責め立てる誰かはもういない。


ただ時間は優しく流れ続けている。




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そっと残しています。

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